人間とはなにか?
人間とはなにか?
誰もが一度は考えたことのある疑問だと思います。
それは同時に「自分とはなにか?」の問いでもあります。
インターネットで「人間とは?」と検索すれば、古来から人類が挑んで来た永遠のテーマであることが解ります。
しかしながら「人間とは?」の答えを解き明かすために、いくら人間を研究したところで、恐らく・・・いや、絶対に明確な答えを得ることは不可能でしょう。
だかからこそ永遠のテーマなのですが・・・。
「人間とはなにか?」の問いが超難題であることは、人類学を扱う専門的な研究者でなくとも容易に察することができるはずです。
人間とはなにか?この問いの難しさ
「人間とはなにか?」の大きな枠組みで考えるより、先ず「自分とはなにか?」を考えてみましょう。
自分はなんのために生まれ、なにをするために生きるのか?
この問い掛けに明確な回答ができる人は皆無だと思います。
例え回答できたとしても、それは本人の思い込みに過ぎません。
何故なら全ての人間は自分の意志で生まれてくる訳ではないからです。
よく「自分のことは自分が一番良く知っている。」と耳にしますが、これも全くのデタラメです。
ただ自分の状況を推察して知ったつもりになっているに過ぎません。
果して自分は自分の何を知っていると言うのでしょうか?
「自分とはなにか?」
この命題に対して明確な答えを出せない時点で、自分は自分のことを丸っきり解っていないのです。
そして自分にとって、もう一つ肝心なもの。
身体です。
身体は自分?自分のもの?
自分の顔、自分の手、自分の足・・・・。
この身体は自分なのでしょうか?
身体を自分と言えるのでしょうか?
もし身体が自分のものと言える人は、一度でも身体の内部を見たことがあるのでしょうか?
- 自分で心臓を動かしているのでしょうか?
- 自分で体温を調節しているのでしょうか?
- 自分で食物を消化し栄養を吸収しているのでしょうか?
- 自分で身体を大きくしたり老いたりしているのでしょうか?
こうして改めて考えた時、
身体が自分のものと言える根拠を見つけるのは大変難しいと言わざるを得ません。
身体を保全し、命を繋ぐ作業は完全に他人任せなのです。
それなのに「自分の力で生きている。誰の世話にもなっていない。」と言えるでしょうか?
余りも自分を知らない滑稽な台詞に聞こえてしまいます。
- 水を飲み食事をする。
- 好きなところへ出掛ける。
- 勉強や趣味に興じる。
- 仕事に打ち込む・・・。
普段、当たり前の様に出来ている行動すらも、「出来ているから出来る」に過ぎないのです。
もし身体に問題が起これば、床から起き上がることすら出来ないのが「自分」なのです。
自分は自分のことを全く知らない。
これが自分を含めた人間の正しい認識で間違いありません。
人間には生と死がありますが、
この人生にとって最も肝心な瞬間に自分の意志は介在していないのです。
①自分以外の意志により生を受ける
②自分以外の意志により死を迎える
それなのに、
生を受けている間は自分の意志で生きるのです。
生を受けている間は喜び・幸せを求め続けるのです。
それは魂に組み込まれた目的意識ゆえ、抗うことも消し去ることも出来ません。
人間は自分以外の意志で創造され、自分の意志で生きる定めを背負った存在なのです。
一体、人間とはなんなのでしょうか?
まとめ
人間とはなにか?
この問いに明確な回答を出来る人間は絶対に存在しません。
存在するとすれば、人間の創造主である神のみです。