永遠を生きる魂人間
魂は永遠です。
人間の生とは有形をお借りすること。
人間の死とは有形をお返しすること。
人間の死を神様は「出直し」と言われます。神様から生まれた瞬間から今に至るまで、魂は同一で何世代も生まれ変わり出直しを繰り返しているのです。
魂は永遠に生きるのです。
前世(過去)、今世(現在)、来世(未来)を生きる魂
今世を生きる人間に前世の記憶はありませんが、魂にはしっかりと記憶されています。今世で運んだ心の理は来世へ必ず持ち越されます。今世の姿は前世に運んだ心の理の姿。
お金持ちの家に生まれた人間は、前世で他人のために沢山喜びを与えたのかもしれないし、貧しい家庭に生まれた人間は、前世で私欲のまま生きたのかもしれません。まあ、因縁とはそんな単純なものではありませんが、前世で運んだ心の理が今世に影響を及ぼすのは間違いありません。
しかし、例えお金持ちの家、貧しい家庭に生まれても条件は全く平等なのです。お金持ちの家の方が沢山の物理的チャンスに恵まれているのは確かですが、この世は心通りの守護が支配する世界です。
肝心なのは心の理です。
物理的豊かさが豊かな心を育むわけではありません。
心にどんな理を宿すか?
心に宿す理によって、今を含めた未来の喜びが確定するのです。
お金持ちでも欲と高慢にまみれた貧しい心なら果して「喜び」と言えるのでしょうか?その心通りに貧しい未来は火を見るより明らかです。
逆に貧しくとも他人に優しく思いやりに溢れた豊かな心なら「喜び」は今の現実であり、その心通りに「未来の喜び」も確定した今の現実となるのです。
前世、来世を見通す魂の力
人間には前世、来世は解りません。
人間は今世どころか「今」しか見えないのです。前世、来世が魂に記憶されていたとしても、今世への関わりなど知りようがありません。
それでは魂人間には前世、来世の姿見えるのでしょうか?
魂人間には前世、来世を見通せる不思議な能力があるのでしょうか?
いえ、残念ながら魂人間にも前世、来世を見ることはできません。
しかし見えなくても何も問題がないのです。
寧ろ、前世、来世が見える必要はないのです。
もし前世が極悪犯罪人だとしたら、人はその重みに耐えられるでしょうか?
きっと今世も後悔しながら喜べない生涯を送ることになるでしょう。
だから神様は敢えて前世を見せないのです。
前世は今世に映してありまります。
今世の姿を見て前世を悟るしか方法はありません。
しかし無理に悟る必要もありません。
心通りの守護と悟るだけで十分なのです。
そして心通りの守護と喜んで通れば、過去の因縁は綺麗に解けるのです。
肝心なのは今なのです。
この先、いつか必ず喜べる未来がある・・・のではなく、今、喜べることが最重要課題ではないでしょうか?
来世が見ないのも今世の楽しみを守るためなのです。
来世は今の心の理次第で不確定。
未来は神様にも解りません。
だからこそ楽しみがあるのです。
そして未来が見えなくても、今に神の思想を信じる喜びがあれば、未来は必ず喜びに確定するのです。
魂人間にとっては、今が 過去であり、今が未来なのです。
それが魂人間の信じる理、神様の思想を支える三つの理なのです。
まとめ
人間は身近いスパンでしか物事を計れません。目先に捕らわれるのは愚者の所業と誹る側も、せいぜい今世の間でしか物事を計れません。
しかし魂は、前世、今世、来世の世代を超えたスパンで物事を計ります。
神様と同じ視点、魂の視点に立って過去、現在、未来を見通す魂人間。
魂人間は、前世(過去)、今世(現在)、来世(未来)を一点の曇りない喜びで生きるのです。