寿限無の日記

魂人間の寿限無が綴る魂のブログ

魂文明の切り無し普請に踏み出した私たち

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神の思想に感じた寿限無のことばシリーズ

身上・事情【*1】のお仕込み【*2】を頂いたとき、身上・事情は不都合な喜べない現実に映る。
身上・事情のお仕込みを頂いたとき、理を知る者の心は常に、人間心と魂の狭間でせめぎ合う。
未だ心根が確立されていないから、不足と喜びと二つの選択肢の狭間でせめぎ合う。
三つの理、かしものかりもの、心通りの守護、人間の心は自由。
この三つの理を心根に確立した者の心はせめぎ合わない。
三つの理を心根に確立した者の心は、喜びの心一つに確立される。
何を見ても、何を聞いても、何に触れても、神様の与え、神様の守護と即喜ぶ魂の確立。
月様の心を即喜びで受ける日様の如く、打てば響く喜びの心が確立される。
神様のすること成すことに何一つ疑いはなく、神様のすること成すことを理の与えと喜びに勇み立つ。
180年間続く神の思想の中で、人間を困らせよう、難儀させよう、罰を与えよう・・・などと惨い心は一欠けらも見つけられない。
人間が難儀するのは人間自身の心が原因であり、神様を恨むよりも、我が身思案を恨み、我が身思案を理の思案へと立て替へ、運命を立て替えさせる神様の思惑。
実際、人間の身体はかしものなのだから、実際にご苦労くだされているのは神様の方であり、人間は自分勝手に難儀と思い込んでいるだけの話である。
身上壮健の結構な守護は心に掛からず素通りしてしまうが、痛い苦しいと言う感覚は心に掛かり留まり続ける。
身上壮健も、痛い苦しいも同じ神様の守護。
同じ神様の守護でも心に掛かるなら、それが喜びと転じるチャンスがある。
人間の心に掛かればしめたもの。
このまま人間思案で陰気暮らしを余儀なくするか、理の思案で運命を喜びに立て替えるか・・・後は人間の選択に委ねられる。
神様が何よりも守りたいのは、人間の魂。
神様は、いつでも人間の心自由をお守りくだされている。
何故なら絶対的自由こそが人間の本来の姿であり、絶対的自由からしか陽気暮らしは実現しないのである。
神様が形一切をかしものと定めているからこそ、絶対的な心の自由は保証され、絶対的自由を自覚した心が生み出す喜びが、心通りの守護によって神様が勇む理となって世界一列を潤す。
日々三つの理で磨き鍛えられた心には、もはや選択肢は存在しない。
心根に三つの理を確立した心には、喜びの答えしか生まれない。


もう、どんな与えも神様の守護でしかないのだ。
もう、どんな与えも喜びにしか感じられないのだ。
もう、そこまで理を仕込まれ、魂を確立して頂いた私たち。
もう、魂文明の切り無し普請に踏み出した私たち。

 

tamashii-ningen.com

*1:身上(病気や怪我など身の上におこること・事情(人間関係や仕事のトラブルなど生活の中に起こること)

*2:「三つの理」の教育:知恵の仕込み、文字の仕込みを経て、理の仕込みに至る