寿限無の日記

魂人間の寿限無が綴る魂のブログ

信仰で病気は治るのか?:病気の役割(3)

f:id:Prince1999:20191023175749p:plain

病気の役割

人間を創造したのは神様です。

全知全能の力がありながら神自身の楽しみは何も無い。全知全能ゆえの悩み。

そこで神様は完全に独立した他者(人間)を創り、その者に守護を与え、その者の喜びを見て共に楽しもうと閃いたのです。

神様は人間が喜ぶために自由の心を与えました。この自由の心は神様にさえ邪魔することはできません。更に心が使えるように有形を守護しました。体を創り、衣食住を整え、地球、太陽、宇宙・・・と全ての有形を創造し、その全てを惜しげも無く人間に貸し与えました。有形を創造し動かすことは大変難しい神の領域です。そこで人間か難儀不自由しないように心通りの守護を定めたのです。

人間は心を使うだけで、心通りに有形を守護いただき、心通りの喜びを感じることができるのです。

このように常に神様に守られた喜びの満ちた存在が「人間」なのです。

そんな喜びの人生が約束された人間世界に、なぜ病気があるのでしょうか?

神様の創造した世界において、病気の役割とは一体何なのでしょうか?

 

健康を喜べない人間

殆どの人間は健康を当たり前と感じています。

本来健康であればこそ、朝気持ちよく目が覚めるし、ご飯も美味しくいただけるし、学校や職場へ元気に出掛けることができるし、趣味や遊びに夢中になり、家族団らんや友人との語らいを楽しめるのです。健康であればこそ将来に様々な夢や希望を持てるのです。

こんな有り難い健康に気が付かず生活しているのです。

「健康を喜びなさい」と言ったところで、「はいはい、わかった、わかった」と軽く流されるのが落ちです。毎日健康が続いていると有り難い実感に乏しくなるのです。

しかし健康が有り難いと実感できる時があります。

それが病気が治った時です。

 

病気が治ると健康の有り難みを実感できる

 痛く苦しい病気。早くこの辛さから逃れたい。布団から起き上がることもできず、かと言って眠ることもできず、食欲もなく、学校、職場、遊びに出掛けることもできない。この広い世界の中で身動きもできず、じっと一人で堪え忍ばなければならない。

数日間、病気が続いたが漸く体調も落ち着き、久しぶりに静かに寝付けた翌朝、心地よい日差しのぬくもりで目が覚める。体を起こせる。足の裏に伝わる地面の感触。窓を開ければそよ風が通り抜け、体中の神経という神経に喜びを伝えてくれる。毎朝、忙しく事務的に食べていた朝食がご馳走に感じられ、怠い学校や職場へも生き生きと出掛けることができる。そう健康の喜び、生きている喜びを実感できる・・・。

こう書き綴ってみると、病気で有り難いと思えてきますよね。

病気があるから健康の喜びを実感できるのです・・・。

しかし、ちょっと待ってください。

健康を喜ぶために病気が必要なら、世界から病気は永遠に無くならないのでしょうか?病気は健康の喜びを実感する装置として人間創造の仕組みに不可欠なものなのでしょうか?

 

病気は人間創造に不可欠なものなのか?

人間創造の目的は単純です。

神様が人間の喜びを見て共に楽しむため。

見るもの、聞くもの、触れるもの全て心通りの守護と喜べる「魂人間の誕生」が最終目的なのです。

今の人類を顧みたとき、そんな喜びづくめの人間が存在するでしょうか?存在しないですよね。つまり今現在も人間創造の過程にあるのです。今は人間の心に悪しき心の理(喜べない心)が蔓延っているので、悪しき形(病気、貧困、犯罪、災害等、喜べない形)を心通りに守護いただいているに過ぎないのです。

決して病気が人間創造に必要なわけではありませんが、現在の状況下では病気が喜びの反作用として重要な役割を果たしているのです。

 

喜びの本質とは神様の守護を感じること

このブログでは「喜び」という聞き慣れた言葉が何回も登場しますが、ここで語られている喜びのイメージは、わたしたちが知っている喜びとは明確な違いがあります。

「人間の喜びを見て共に楽しみたい」。この神の思想にある喜びとは、人間が「神様の守護を感じる喜び」なのです。喜びとは神様の守護を喜ぶこと。

肝心なのは健康だから喜ぶのではなく、健康の元にある神様の守護を喜ぶことなのです。そこに行き着くまで、人間は真の喜びに到達できないのです。

神様の守護に気が付かなければ、例え一時病気から回復し、健康の喜びを実感できたとしても、再び健康に慣れてしまえば元の木阿弥。健康を当たり前に感じ、できることにも愚痴を言い、何時又病気になるか解らない不安を抱えたまま、喜べない心の根が蔓延ってしまうのです。

そこで病気になれば又再び、喜べない心根は一掃され健康の実感を味わえる・・・と思うかもしれませんが、何度も何度も病気が続けば人間の心は段々弱り、疑念も増し、健康になっても「どうせまた病気になる」と、陰気な思考に支配されてしまういます。

そうなっても三つの理に心を合わせれば「陰気な思考」を「陽気な思考」に立て直すことも可能ですが、そうなる前に是非、自ら意識的に三つの理で喜びの心を鍛錬してください。

人間が意識してもしなくても「三つの理」に支配され、人間創造の川は流れ続けているのです。自ら「三つの理」の価値に気が付き、「三つの理」で魂に目覚めた状態で喜びの心を鍛錬するなら、人間創造の本流に乗ったも同じことです。

それが最速で魂人間へと生まれ変わり喜びづくめの人生を謳歌する唯一の方法なです。

喜びの心が人間世界から病気を根絶するのです。

  

tamashi-ningen.hatenablog.com