神の思想とはなにか?
神の思想
つまり神様の考えです。
神様は如何なる思想の元に人間を創造されたのでしょうか?
その前に、そもそも神様とは如何なる存在なのでしょうか?
神様とはなにか?
神様とは無形の存在。
無形とは姿形が無く、物質、時間、空間に縛られない完全に自由な存在。
そして全知全能の存在であります。
全知全能ゆえに神様に不可能なことはありません。
どんな思考も可能だし、その思考を有形として自由自在に創造することも可能です。
しかし神様には全知全能ゆえの葛藤がありました。
全知全能ゆえ、我が身の心配も苦労も一切無い代わりに何の楽しみもありません。
神様はこの状態を「どろ海」と称されています。
全知全能ゆえの葛藤
わたしたち人間は有形の存在です。
有形とは、姿形が有り、物質、時間、空間に縛られた完全に不自由な存在です。
神様のように何でも出来たら、どんなに楽しいだろう?と思わずにはいられませんが、実際に何でも出来てしまったら、自分自身にとっての楽しみは消滅してしまうのです。
そんな馬鹿な?と思われるかも知れませんが、少し考えてみてください。
例えば、こんな欲求があったとします。
- 高価なフルコースの料理を心ゆくまで堪能したい。
- 豪華客船で世界中をのんびりと旅したい。
- 高級車に乗り豪邸に住み何不自由なく暮らしたい。
- 才能豊かで世界中から賞賛を浴びたい。
誰もが夢見る素晴らしい生活ですが、もし全ての欲求を実現できる能力があるとしたら?
いつでも豪華なフルコースを堪能し、いつまでも豪華客船で旅をし、何万台もの高級車、何万件もの豪邸を好きなだけ所有し、ノーベル賞、世界記録など簡単に成し遂げられるとしたら?
つまり神様のように何でも自由自在に出来る存在だとしたら?
自分自身に対する欲求は消え去り、恐らく神様と同じく退屈な日々を余儀なくされるでしょう。
人間は不自由だからこそ様々な欲求に溢れています。
欲求に溢れた人間には、神様の立場がピンと来ないかも知れません。
人間は決して神様のようには成れません。
神様のように全知全能、自由自在ではありません。
しかし人間は物質、時間、空間に縛られ不自由であるからこそ、自由を求め、自由の喜びを感じることが出来るのです。
- 家計を気にしながら毎食準備するからこそ、豪華なフルコース
- 毎日の雑務、仕事、人間関係の疎ましさがあればこそ、気儘な旅
- 一生に一度の高価な買い物だからこそ、高級車や豪邸
- 平凡な自分、無価値な自分だからこそ、才能と賞賛
その欲求の根底にあるのは紛れもなく、自由への渇望なのです。
不自由であるからこそ、自由を渇望し、自由の喜びを感じることが出来るのです。
全知全能ゆえの葛藤から、神様にも自由にならない他者の創造・・・
つまり人間創造を思いつかれたのです。
神様のアイデア
「どろ海」以前、何の楽しみも無い神様に素晴らしいアイデアが閃いたのです。
それが人間創造です。
人間を創造した時、はじめて神様に不自由が発生したのです。
完全に自由の心を持つ他者である人間。
神様にも自由にならない人間だからこそ、
神様の思い通りに人間が喜んだ時、神様は自由の喜びを感じられるのです。
全知全能ゆえ、我が身に対する心配や苦労は無い代わりに、欲求や喜びも無かった神という存在。
他者である人間が誕生することによって、
他者の喜びを我が喜びとする心が発生したのです。
人間の身を案じ、人間を守護し、人間の喜ぶ姿を楽しむという明確な意志を持った神。
「人間の喜びを見て共に楽しむ」という素晴らしいアイデア。
これが全知全能が導き出した至高の喜びなのです。
まとめ
神の思想とは「人間の喜びを見て共に楽しむこと」。このたった一つの思想から人間世界の創造が始まったのです。
人間創造とは喜ぶ人間を創造すること。
喜ぶ人間。その喜びは神様の守護を感じる魂の喜びです。
魂で感じ、魂で考え、魂で喜ぶ、魂人間の創造が神様の目的なのです。