神の思想を支える三つの理
神の思想は「人間の喜びを見て共に楽しむこと」。
このたった一つの考えから人間世界は創造されました。 しかし途方も無い長い年月を掛けた壮大なプロジェクトです。当然、緻密かつ確実な方法が必要になります。
そこで神様は三つの理を定めました。
三つの理
この三つの理によって人間は存立しているのです。
三つの理は神様でさえ無効にすることができない絶対の理。否、永遠に変える必要がない完成された理なのです。
①借りものの理
- 全ての有形は魂が神様からお借りしているもの。
- 体、衣食住、地球、太陽、宇宙・・・全ての有形は神の創造物。
- 有形に対して人間は完全に不自由。借りているからと言って自由に使えるわけではない。神様の許しが無ければ呼吸一つ不可能。
②心通りの理
- 心通りの守護。人間の心を神様が受け取り有形を守護する。
- 心通りの守護が無ければ全ての有形は微動だにしない。
- 心通りの守護こそ人間にとって最大の喜び。
③心自由の理
- 心一つが人間のもの。人間の心はいつでも自由。
- 心の自由は神様にさえ邪魔できない完全なる自由。
- 人間の心が運命を創造する。
三つの理が支配する世界
全ての人間は、三つの理が支配する世界に生きているのです。
誰一人として三つの理の影響下から逃れることはできません。
しかし逃げる必要は全くありません。なぜなら三つに理が人間を存立させる根本原理であり、「喜び」を成り立たせるの土台だからです。
喜びと同様に、嫌なこと、都合の悪いこと、喜べないことも三つの理が原因です。
しかし三つの理が持つ本来の目的は「人間の喜び」のためにあるのです。
今まで人類は三つの理を知らずに生きて来ました。
自分に都合が悪いことが起これば、その形を排除したいと思うのは当然のことです。
だから今までは、病気に掛かれば幹部を排除し、犯罪が起これば犯罪者を排除し、領土を守るために他国を排除し、環境が汚染されれば汚染物を排除し、我が身の幸せを守るために他人を排除して来たのです。
これらの判断は当然と言えば当然です。異論を唱える人は少ないと思います。
しかし、全ての物事は三つの理から守護いただいた結果なのです。
これまでは結果に対して心を使うしか術はありませんでした。
これまで人間の知恵や知識で問題に対処して来ましたが、病気も犯罪も争いも一向に無くなりません。寧ろ更に難しい問題が次から次へと発生します。
どんなに問題を排除したところで、問題とは「心通りの守護」の結果に過ぎません。
問題が起こる原因を絶たなければ、次から次へと問題が発生するのは当然です。
浸水したボートの水を一生懸命掻き出しても、原因の穴を塞がなければ浸水が止まることは有り得ないのです。
全ての物事は三つの理から守護いただいた結果であれば、当然、全ての物事の原因も三つの理にあるのです。
三つの理は、解りやすく説明すればコンピューターみたいなものです。
命令を入力すればコンピューターは命令通りに動きます。
悪い命令ばかり入力していたら、コンピューターは命令通りに悪い結果を出します。
三つの理もコンピューター同様に、喜べない心ばかり使っていたら、その心通りに喜べない守護しかいただけないのです。
つまり心を使う(命令を入力)ことが物事の原因なのです。
心を使う段階で喜びの心のみ使えば、その心通りに喜びの守護が溢れるのが当然の結果なのです。
これまでは三つの理を知らず、物事の原因が分からず、結果に翻弄され続けるばかりでしたが、知った今は物事の原因に参入し、問題の原因を根こそぎ排除し、問題を発生を未然に防ぐことが可能なのです。
つまり三つの理とは、人間の心一つで運命を決められる有り難い有り難い仕組みなのです。
これまでは神社宗教などで、神様に願いを叶えていただくためにお賽銭を投げたり、拝んできたかも知れませんが、三つの理を知った今、その方法論が大変革するのです。
人間には、喜びに必要な全ての理が備わっているのです。人間は何処からでも、どんな状況からでも喜びの心を生み出せるのです、
神様は人間に知恵を仕込み、文字を仕込み、漸く三つの理を仕込める段階まで到達したのです。そして遂に神の思想通りの人間が誕生するのです。
三つの理を駆使し、魂で感じ、魂で考え、魂で喜ぶ、魂人間の誕生。
三つの理を人間自身の心の理とするなら、誰でも喜びの化身、魂人間になれるのです。
以下、参考までに簡単なQ&Aを記載しておきます。
より詳しい解説は個別の記事をご覧ください。
三つの理 : Q&A
- Q1
- 何故、心臓は独りでに鼓動するのか?
- A1
- 独りでに鼓動しているわけではありません。神様が鼓動させているのです。
- 複雑で難しい体の働きは全て神様が担い、人間自ら管理する必要のない重宝な体をお借りしているのです。有り難いことですね。
- Q2
- 自分の力で努力してダンスが上達しましたが?
- A2
- 人間は心を使うだけです。
- 神様の力が無ければ指先一つ動きません。
ダンスが上達したのは心通りに守護いただいたお陰です。 - ダンスに向き合い、喜び運んだ心の理は、必ず神様が受け取り、形(結果)となって御守護いただけるのです。何事も喜びが心を進ませ結果に結びつくのです。
- Q3
- 嫌なことがあると落ち込んでしまいます。
- A3
- 心は完全に自由です。
嫌なことを見て「落ち込む心」を選択をしているは自分自身です。 - 嫌なこと(形)に捕らわれて、本来自由である心が身動きできないのです。
- そんな時、三つの理に自分の心を当て嵌めれば、問題は簡単に解決します。
嫌なことも心通りの守護なら、嫌なことを見て「落ち込む心」も心通りに守護いただくのです。
嫌なことを見る原因は過去の心使いにあるのです。 - 自分の心使いの結果である嫌なことを見て「落ち込む心」を使うということは、過去の自分に学ばず同じ過ちを繰り返し、更に落ち込む原因を創造しているに過ぎないのです。このままでは「落ち込む心」のスパイラルから抜け出すことはできません。
- 「落ち込む心」の悪循環を断ち切り、喜べない過去・現在を断ち切り、喜びの現在・未来を創造する主体性は人間に備わっているのです。
それが三つの理。
三つの理は「落ち込む心」を使う必要のない「喜びの理」なのです。
まとめ
三つの理とは「人間の喜びを見て共に楽しみたい。」という神様のアイデアを形にするために必要不可欠な三大原理なのです。
この三つの理を自分に当て嵌め、三つの理を使い喜びづくめの人生を歩むのが魂に目覚めた人間・・・即ち魂人間なのです。