寿限無の日記

魂人間の寿限無が綴る魂のブログ

信仰で病気は治るのか?:はじめに(1)

f:id:Prince1999:20191023175749p:plain

はじめに

「信仰で病気は治るのか?」

これは信仰している人も、無信仰の人も一番関心があるテーマだと思います。

信仰で癌、皮膚病、内臓疾患、神経疾患、精神疾患などの病気が治るなら病院はもぬけの殻になるでしょう。痛い注射や恐い手術を受けるより、祈りで病気が完治するなら間違いなく世界中が信仰者で溢れ返ります。

しかし現実を見れば病院は何処も満員御礼、診療を受けるまで何時間も待たされるほど支持と信頼を得ています。病院では完治できず助からない病気も沢山ありますが、それでも殆どの人は病院に救いを求めます。

現在医療も様々な問題を抱え万全とは言えませんが、それでも一般患者の心の拠り所は病院と言って差し支えありません。

病院が支持と信頼を得ている理由は、徹底した科学技術とデータに基づいて病気を数値化、可視化し、不安な患者に対して一定の安心感を与えることが可能な点ではないでしょうか?

発熱や咳きが出る患者に対して、医者は科学技術とデータを元に診断を行い、問題が無ければ最適な薬を調合し、「お大事に!」と笑顔で見送り、安心感を与えることができるのです。

しかし現在医学では治せない患者に対しては、残りの命も科学技術とデータによって数値化、可視化され、無慈悲に余命の宣告が行われるのです。

 

一方で、現在医学で完治の見込みがない患者に対して救いの手を差し伸べるのが宗教の特色です。はたして、病院で治せない病気を信仰が治せるのでしょうか?

 

病院で治せない病気を信仰が治せるのか?

病院に見放された患者は「藁にも縋る思い」で宗教の扉を叩くのではないでしょうか?

わたしの唯一知っている宗教(祖父が天理教教会長)でも、産後の肥立ちを助けたり、医者に見放された命を救ったり、見えない目を開かせたり、常識では考えられない不思議奇跡によって信者が増え、勢力を拡大した歴史が事実として存在します。

しかし年々信者数が減少し強勢が衰退している現状から鑑みて、不思議奇跡は遠い過去の逸話と言って過言ではありません。SNSが普及した昨今に不思議奇跡が現われたら忽ち話題になり、教団の強勢が拡大することがあっても減少するなど考えられません。

それは他の宗教でも似たり寄ったりの状況ではないでしょうか?

祈りで難病を克服するなど、様々な宗教での体験談は枚挙にいとまがありませんが、もし不思議奇跡が日常茶飯事でバンバン病気が治っているなら、どんどん人が集まり世界のスタンダード宗教として確立しているはずです。

しかし現実に「病気平癒」を謳った宗教が数多く存在します。神社をパワースポット化して「必ず奇跡は起こる」と大判風呂敷を広げているところもあります。でも必ず奇跡が起き、不治の病が100%治るのなら、それこそ世界的に注目を集め、世界中から参拝者が押し寄せるはずです。実際に参拝や祈祷で助かった方もいるでしょうが、その反面、助からなかった方も数多く存在するはずです。どうしても誇大広告感は否めません。

 

それと一般的感覚ではどうしても理解を共有できないのが賽銭です。

「神仏にお供え」という名目で金銭を要求することです。

病院なら高価な医療機材を導入しているので治療にもお金が掛かるのは理解できます。しかし祈りにどうしてお金が必要なのでしょうか?宗教団体を運営する上で経費が必要です。宗教家自身にお金が必要な事情は理解できます。しかし、それと、これとは別な話です。もし賽銭の目的が必要経費なら「神仏にお供え」などと謳わずに、経費の明細を公開して会費として徴収すべきです。

だって病気を治すのは不思議奇跡を司る神仏のはず。不思議奇跡を起こせるほどの神仏が人間から金銭を要求するのは到底理解できません。

神仏はお金が大好きなのでしょうか?神仏とは欲まみれな存在なのでしょうか?

金銭をお供えしたら病気が平癒した体験談はよく耳にしますが、それが事実であったとしても、なぜお金をお供えしたら病気が治るのか?お金と神仏と病気は如何なる法則で結びついているのか?

その点を明確にし、一般的感覚にも納得できる法則なり道理を示し、その通りにすれば必ず病気が治るなら、誰もが喜んで金銭を支払うでしょう。

要するにお金を支払う価値があれば、病院でも宗教でも喜んで金銭を支払います。本当に価値あるものは過剰に宣伝しなくても人が集まるものです。

しかし実際には価値のないものを、人の弱みや苦しみにつけ込み、まるで脅迫紛いの論調で購入させる・・・そんな似非宗教が蔓延っているのも事実です。それが余計に宗教への反感を募らせる要因にもなっています。

SNSの普及で元信者による悲惨な宗教体験が拡散され宗教の風当たりは強まる一方。

  

本当に信仰で病気は治るのでしょうか? 

 

 

神の思想は病気を根絶する

そもそもなぜ人間の力では治せない病気が存在するかと言えば、人間という存在自体が不思議奇跡で成り立っているからなのです。

命はどこから生まれ、どこへ消えていくのでしょうか?殆ど「無の状態」から37兆個もの細胞に分裂し一人の人間を存立させるメカニズムは人知を超越しています。

そして存在する理由も意味も知らないまま、命ある限り喜びを求めて彷徨い続ける人間。間違いなく人間以外の意志と力で存在しているのに、それを感じさせない不思議な存在。

この人間という不思議奇跡を解明しない限り、これからも似非宗教は我が物顔で蔓延り続けます。なぜなら神の啓示を偽る者がいても、嘘か?誠か?誰も裏を取ることができないからです。

病院も同じです。病院も日夜、人体という不思議奇跡と格闘しているのです。絶対に勝てるはずのない挑戦ですが、科学と統計データの蓄積が僅かながら不思議奇跡の中に一定の法則性を発見し、病気の治療に成果をあげています。

ただ人体は何度も言うように不思議奇跡の塊。人間の手に負えない難病奇病は後を絶ちません。こちらも不思議奇跡が解明されない限り、今後、患者が増えることがあっても減ることはないでしょう。益々病院は大儲け・・・と言いたいところですが、患者の数に医師が足りず、その裏で医師の疲労、医療ミス、訴訟などの問題は山積して解決の糸口さえ見つからないのが実情です。

人間存在という不思議奇跡の解明

これに明確な答えを出せるのは、不思議奇跡の支配者である人間創造の神以外に有り得ません

人間の創造主たる神が現われて人間の真実を説いたなら、不思議奇跡は人間の知るところとなり、似非宗教はおろか、その他の宗教も駆逐され、病院もその役割を終えるでしょう。

神の思想が病気を根絶するのです。

 

 連載:信仰で病気が治るのか?では、神の思想を元に不思議奇跡の根幹に迫り、信仰で病気が治る真相を究明したいと思います。 

 


 

ここでは宗教と一括りにして論じていますので「うちの宗教は違う」と反論がある方は申し訳ありませんが、この記事に返信をして詳細を教えてください。(内容によっては謝罪させていただきます。)

また、信仰で病気が治る不思議奇跡を体験をされた方も、返信をして詳細を教えてくだれば幸いであります。

 


 

 

tamashi-ningen.hatenablog.com