信仰で病気は治るのか?:「病は気から」の科学(6)
「病は気から」の科学
「病は気から」。
病は気からとは、病気は気の持ちようによって、良くも悪くもなるということ。故事ことわざ辞典より。
「病は気から」で検索すると”「病は気から」は本当だった”をタイトルにしたページが多くヒットします。
どうやら北海道大学の研究チームによる、マウスを使っての実験結果らしい。
「病は気から」というが、北海道大学の村上正晃教授(免疫学)らのチームがマウスを使った実験で、ストレスが胃腸の病気や突然死を引き起こすメカニズムの解明に成功した。
詳しい研究結果の記載は差し控えますが、要は「心が病に影響を与える俗説が科学的に証明された」ということです。
その他に、実際にはなんの治療効果もないはずの薬を飲んでいるのに、効き目があるのだという心理が働いて、本当に症状がよくなる「プラセボ効果(偽薬効果)」の記述も多く、医療現場での研究も進んでいるようです。
また、個人的な体験談も見受けられます。
わたしも若い頃、「病は気から」に纏わる印象深い体験をしました。
若い頃の話。親戚の引っ越しを頼まれていた日の前日に風邪を引いて、扁桃腺に白い斑点が沢山出来て、熱はあるし体は怠くて、とても約束を果たせそうにありまでした。
しかし道義の厳しい母に「約束したのだから行きなさい。向こうも当てにして待っているのだから!」と叱咤され、「まじか・・・」と思いながら渋々親戚の家に電車を乗り継ぎ向かいました。
ところが引っ越しの作業を手伝っている内に段々と体調が回復し、終わる頃には熱も引き、駄賃も貰い、元気に家に帰ることができました。
作業中は終始、気が張っていたのが影響したのでしょうか?
「病は気から」を垣間見た瞬間でした。その後も、この経験から少々体の具合が悪くても「病は気から」を心がけると気持ちが楽に通れました。ただ本格的に具合が悪くなれば寝込むしかありませんが・・・。
「病は気から」は間違うと「根性論」に捉えられてしまします。少々具合が悪くても「気を張って働く」・・・が「気合いを入れて働く」になり・・・気が付くと「根性を入れて働く」にすり替わる危険性があります。
「病は気から」と言ってもケースバイケースです。気合いでも、根性でも、出来ないものは出来ません。
そもそも体は「借りもの」ですから、人間の「気合い・根性」で動くものではありません。「心通りの守護」が許す範囲で動いているに過ぎないのです。
「三つの理」に照らせば「病は気から」は「病は心通りの守護(気)から」に変換できます。心通りに、喜べない心(気)が病気になるなら、病気に良い効果を与えるのは喜びの心(気)ただ一つです。
「病は気から」を科学的根拠で論じなくても、実際、心を使えば体が反応し動きます。
ラグビー日本代表のトライが決まれば興奮してガッツポーズを決めるし、逆転を許せば落胆して頭を抱えます。選手同士で喧嘩が起これば心拍数が上昇するし、タックルで怪我をして血を流せば背筋が寒くなります。
このように心はダイレクトに体に影響を及ぼしているのです。心ほど体に影響を与えているものはありません。心の状態が病気になんらかの影響を与えると考えるのは、ごく自然なことです
そして、「病は気から」に代表されるような、心と体の真実を教えてくれるのが「神の思想」なのです。
(心の動き・状態) → (心通りの守護) → (体の動作・状態)
病気も「心通りの守護」により症状に現われ、病気を「心通りの守護」と喜ぶことで症状も回復に向かいます。
もし少し具合が悪い時、「病は心通りの守護から」と信じて、喜びの心を運んでみては如何でしょうか?
わたし自身の実験では、
- 歯痛が瞬間的に治まる
- 頭痛が緩和され次第に治まる
- 発熱が大事に至る前に治まる
など効果が実証されています。
殆どの病はゆっくりと回復に向かうので「偶然?」と思うかもしれませんが、「偶然」が何度も何度も続けば「必然?」と思えてきます。
要は意識的に続けることが重要なのです。ダイエットと一緒で意識的に続けなければ効果は得られないのです。
痛く苦しい最中に喜ぶことは至難の業かもしれませんが、三つの理に意識を集中して是非挑戦してみてください。